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2006年10月23日 (月)

中越地震の頃

 今日、10月23日で新潟県中越地震から2年。今も仮設住宅
で生活されている方もおり、被害の大きさを感じさせられます。
一方で、崩れた場所をそのまま残すなど、あのできごとを
風化させないという動きもあるようです。
 自分自身、当日は県外にいたため大きな揺れがあった場所
にいたわけではなく、長岡にいる家族、家も無事という幸いな
状態でしたが、しばらくは不安が続きました。

 そういった中でも、当時、鉄道に関しては写真という形で
記録を残していました。災害であったということを考えると
不謹慎かなと思ってしまうこともあり、これまであまり公開は
してきませんでしたが、2年という日が過ぎ、上で書いた、
風化させないという考えにも同意できるので、この場で公開
します。

 地震発生1週間後の10月30日、前日か前々日に越後湯沢
以北が不通だった上越新幹線のうち、燕三条~新潟のみ
開通しました。こちらは新潟駅新幹線ホームです。「燕三条」
の行き先が表示され列車も入っていますが、ホームは閑散
とし、新幹線コンコース内、ホーム上の売店は閉ざされた
ままでした。

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 さらに翌週の11月6日、地震発生後初めて長岡に向かいま
した。この頃、新幹線は長岡~新潟で運転されており、新潟
駅の活気も少し戻っていたように感じました。
 駅案内、列車行き先表示には「長岡」という表示も。

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 こちらは長岡駅。10月27日に震度6クラスの大きな余震が
あった時、ニュースで長岡駅崩壊の恐れというようなことが
報道され、あれだけの建物なので気になりましたが、その時
のことが駅に貼られていました。

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 実家によってから、鉄道の場面では最も痛々しかった場面
ではと思われた場所に、うちの人と行きました。

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 11月20日。地震から約1ヶ月が経過し、ようやく遠出できそう
な気になり直江津まで向かいました。実は直江津が目的地で
地であったわけではなく、その先の予定があったのですが、
事情があって中止、直江津返しとなりました。
 この頃は信越本線長岡~柏崎が不通で、越後線経由、新潟
~長野の快速が運転されており、この日はこの快速に乗って
います。

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 直江津からの戻りは柏崎から長岡まで代行バスに乗車。
乗ってきたバスの他、長岡駅前には代行バスがいました。

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 上越線の不通のために「ムーンライトえちご」が長期運休と
なり、駅時刻表にも注記が貼られていました(別な日に新潟
駅で撮影)。

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 そして12月19日、仕事で関東に向かうことになり、新幹線
代行のバスに乗ることに。東京が本当に遠く感じました。

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 この約1週間後、年末輸送が始まる直前に新幹線は全線
開通しました。代行バスでの東京行きは1回だけとなりました
が、一度、慣れてしまったものを失うと非常に不便を感じる
ことに気づかされました。

 最後に、12月に新潟駅南口で行なわれた光のページェント
というイベントから。各地でこの言葉が見られました。

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